<タミヤモディファイドモーター列伝> <それは「ブラックモーター」から始まった> タミヤのモディファイドモーターの歴史は意外に古く、 ほぼタミヤRCカーの歴史と言っても過言ではありません。 実車がそうであるように、性能アップの近道は、今も昔も動力のパワーアップ。電動RCでいえば モーターの交換にほかなりません。タミヤで電動RCカーが始まってまだ2年目、シリーズとしても 3作目の「タイレルP34」が出て間もない1977年12月1日、早くもオプションとしてマブチRS-540Sが登場。 これは厳密にはモディファイドモーターではなくてただのoptパーツですが、以後のタミヤモディファイドモーターの 「原点」として無視できません。 ちなみに、意外にあまり知られていないようですが、540S/SHは0.65mm線のシングル27ターン (マブチ社内では「6527」と呼ばれます)、 というスペックのモーターです。 これがすべての比較の基本になるスペックですので、この際、ぜひ覚えておきましょう! 「マブチRS-540」は、そもそもはRC用なんかではなくて、多目的の汎用モーターです。そのため、ノイズキラー用のコンデンサは カスタム仕様として「外付け」されていました。それも初代の樹脂製白エンドベルの頃は大きいセラミックコンデンサが1個、 +−両極を直結する形で付いていました。その装着方法も、今からすれば驚くべきことに、手作業によるハンダ付け(!)だったのです(写真は380Sの例ですが540Sも同じでした)。 ![]() しかし、他社製品も含めて電動RCが爆発的なヒットを続けるなかで、さすがにいつまでも手作業では済まなかったのでしょう、 1980年3月〜4月発売の「ウィリアムズFW07/ロータス79競技用スペシャル」からキット標準で同梱されたとみられる 第2世代の黒エンドベル仕様ではノイズキラーが大幅に見直されました。 同じセラミックコンデンサでも、一段と高周波に対応できる小型タイプの2個仕様となり、モーター缶をアースとして当初はハンダ付け、後年になるとスポット溶接で両極と缶に接続する方式に改められたのです。 ![]() ところで、540Sモーターが電動RCカーに使われるようになった1970年代後半の頃は、 まだブラシ摩滅の影響も考慮されておらず、正転・逆転どちらにも使う可能性があったので、 540Sでは「進角ゼロ」のエンドベルが使われていました。このため、ブラシが摩滅し、片減りすると進角がついてパワーアップするので、 進角方向に片減りさせるための「逆転ナラシ」がチューニングとして大いにモテはやされた、そういう時代でした。 ちなみに、後に7.2V仕様に改められた540SHでは、 エンドベルが金属製となり、ブラシに逆進角 ![]() ![]() RC用としての540Sは、当初は6V電源を前提として、これをニッカド5セル(汎用の1200SCセル)、 ないしは乾電池4本で実現していました。ただし、タイヤも標準は中空ゴムでしたから (インナーなんてありません、タイヤゴムの剛性でタイヤがヨレもせず走れていたのです!)、 これでも十分なパワーがありました。当時は1/12スケールが中心で、マシンの全備重量は1200g前後でした。 一部の電気に強いユーザーは、 RC電源をバッテリーから取ることでRC電源用の単三電池4本分の重量をカットし (注1)、ミニサーボの使用や受信機カバーを外すといった工夫で1100gくらいまで軽量化していたようです。 このため、「6Vの540パワー」でも、走行速度は時速25〜30km/hくらいは出ていたのです。 もちろんマシンの軸受けにはしっかりボールベアリングが入ってましたヨ! (注1)これが後に「BECシステム」という形でプロポメーカーにフィードバックされ、一般化していきます。 さて、時代は進み、80年代に入ってくると、タミヤ以外のメーカーがどんどんトンガったモデルを出し始め、 JMRCA主催の全日本選手権も次第にヒートアップするに至り、タミヤとしても時代の流れ、すなわち飽くなきパワー競争の波に のまれていきます。 ![]() ![]() (注2) ![]() ![]() ![]() ![]() 「ブラックモーター」シリーズは、タミヤ初のモディファイドとして画期的でしたし、マブチとしても、 RC専用のカスタムモーターを初めて作ったという意味で歴史的な価値のあるモーターだったのですが、内容的には、 率直に言って、当時のレベルから見てもかなりショボいものでした(笑)。 ボールベアリングは出力側の軸受けのみでエンドベル側はプレーンメタルのまま、カン、ローター、エンドベルといった基本パーツも540Sと共通でしたからね。でも、「タミヤが売ってる」というだけで、もう十分なバリューだったのです。これは今も昔も変わりませんねえ。そういう意味で「タミヤ」というブランド力は素直にスゴいと思います。 タミヤとしても、20年前当時でも2万6000円!(インフレを考慮した現在価値では7万円前後になるでしょう) という超高価な「カンナムローラ」がそんなに売れるとは思っておらず、あまりリスクを取る商品企画ができなかったのかも知れません。 確かにカンナムローラ自体は、全国的にみれば、お世辞にも「売れた」とは言えなかったようです。「高価だから」というよりも 「メカに凝りすぎて重過ぎ、シャシーデザインも実戦的でなく、他メーカーのマシンと勝負にならない」という理由からです。 当時は「タミヤクラス」なんてなくて、メーカー制限なしのレースが前提でしたが、そんななかにあって、 当時すでに1000gを切るマシンが当たり前だったのに、全備重量1200gという「キングタイガー級」の重量マシン、 それがカンナムローラだったのですから。おまけに独特の1ピースシャシーは絶対的なメカニカルグリップの面でもライバルより 劣っていました。期待されたJMRCA全日本でもAメイン入りはおぼつかず、活躍の場はタミヤグランプリのみ。 「見た目」のインパクトはものすごく新鮮だった(今でも!)のですが、いざ走ると、タイムにつながらない、 机上の空論で作られたクルマ。こういう傾向は、80年代いっぱいまでずーっとタミヤ車の「お約束」みたいに続いてきて、 90年代のトップフォースEvoやダイナストームでも覆し切れなかった「悪しき伝統」でしたね。TRF414でようやく JMRCAでのAメイン入りが定着し、2000年のスポーツクラスではAメインでのトップゴール(1ヒートのみ)も実現し、 さらにISTC(ツーリングカー世界戦)で2人のチャンピオンを輩出し2期4年間にわたってチャンピオンメーカーの座を守るに至って、 この悩ましい伝統は完全に打破されたわけですけどね。 なお、ブラックモーターについては、「モーター研究室・その9」にて詳しくレポートしています。合わせてお読みください。 <80年代半ば:タミヤにも分解式モーターの波> さて、以後の数年間、筆者はRCから遠ざかっていたのであまり詳しくは語れませんが、 さすがに、「ブラックモーター」程度の仕様では、年々激化の一途を辿る1/12レーシングではユーザーのガマンも限界の極みに達したようで、ついに84年12月、マブチとの共同開発により、8分レース専用の高効率な「RX-540SDテクニパワー」(sp.225、4500円)が発売されます。両軸ベアリング支持、完全分解式で進角調整も可能になった初めてのモデルです。翌85年3月には、ターン数を増やし特性をマイルドにした「RX-540SDテクニチューン」(sp.230、4500円)も発売されました。こちらは、流行の兆しをみせていたバギー、特に2WDマシンでの使用を念頭に置いたモーターとして発売されたものです。なお、テクニパワーとテクニチューンは、マブチとしての型式は同じで、タミヤでの品番が異なっているだけなので要注意です。ターン数はカタログに記載がないのですが、後に出てくる「テクニゴールド」が21Tシングル巻き、ということからすると、テクニパワーで21T、テクニチューンで23T程度だったのではないでしょうか(シングル巻きであることは確認済み)。線径は未確認ですが、見た目では0.70mm程度です。 ![]() 確かに、前後のエンドベルと中央のマグネット部分を長ビスで組み上げるモーター、というのは、なかなかにメカメカしくて、今となっては懐かしい思い出です。今では、どのメーカーも、カンとエンドベルという「見える部分」のデザインや色だけを変えて、細かいパーツについては汎用部品をあれこれ組み合わせているだけ。価格的にはずいぶんと安くなりましたから文句はないのですが、モーターカンも、分割式というのはハイエンドモデルでも完全になくなり、プレス加工の1ピースものばかりで、「つまらなくなった」と思うのは筆者だけでしょうか。 <80年代後半:モーター元禄時代> 時代は変わり、世の中は1/12レーシング中心のオンロードが廃れ、バギーが急に売れ始めます。 「ミニ四駆」ブームと連動したバギーブームの始まりです。時代はいわゆる「バブル経済」の真っ最中。 80年代中盤〜後半にかけて、都会のデパート屋上に相次いでバギーコースが設けられ、テレビでは「タミヤRCカーグランプリ」などの テレビ番組が放映、ブームを支えました。発表前から大変な注目を集めたタミヤ初の4WDバギー 「ホットショット」から始まり、最後には「アバンテ」「イグレス」なんていう3万円も4万円もするフルopt仕様のバギーモデルがバンバン売れました。新宿「伊勢丹」の屋上にバギーコースがあったとか、新宿NSビル内のアトリウム(吹き抜けの広場)で特設コースを作ってタミグラを開催したとか、子供向け雑誌とタイアップしたRCモデルがテレビCMで宣伝されてた、なんて言ったら、今じゃ誰が信じるでしょうか? でも、そんな時代が確かにあったんです。まさに「ラジコン元禄時代」とでも言えそうな、カネ使いも商品企画も贅沢でバブリーな時代でした。 タミヤが1988年3月の「アバンテ」発売を機にTRFを結成し(avexのTRFより4年も前<笑>)、同年のJMRCA全日本でAメイン8位に入るなどしてワークス活動に本腰を入れ始めたのもこの時期です(TRFはその後 「ダイナストーム」の発売後93年頃をもって一時休止しましたが、96年以降、1/8GP・BMTでのレース参戦やTRF404〜414シリーズの開発で活動を再開したのはご存知のとおりです)。当時東京・三鷹で学生していた筆者は、そんなことはツユ知らずでRCのことなんか忘れ、全然RCとは関係ないオーケストラ活動に全力を注いでいました。伊勢丹にコースがあるなんて当時知ってたら、まるっきり人生変わってたと思うんですけどね。。。 ![]() これを手っ取り早く解決する手法として80年代中盤の一時期、脚光を浴びたのが「7セル8.4Vパック」というバッテリーです。 タミヤでも、「タミヤRCカー発売十周年企画」として、ムーンクラフトの由良拓也氏デザインによるバギー「ビッグウィッグ(Item58057、2万5800円)」を86年7月に発売し、同時に「タミヤカドニカ8.4Vゴールドパワー(Item 55025、6400円)」をリリースしています。さらに、同梱モーターとしても新たに8.4V対応のハイパワーモーターとして「RX-540VZテクニゴールド(sp.290、5000円)」を開発。翌86年8月からスペアパーツとして別売りも始まりました。なお、テクニゴールドのローターは0.8mmシングル21ターンです。 ![]() そうこうしているうちに、1987年、日本でのF-1GPが復活するのに合わせてタミヤからも「ロードウィザード」のシャシーに新しくロータス99TとウィリアムズFW11Bのボディを付けたキットを発売。にわかにF1ブームが沸き起こってきました。 ![]() え、op.1?そうなんです、記念すべき「ホップアップオプション」の第1号がこのモーターなんですねえ。ホップアップoptの歴史もまた、モーターとともにある、そんな感じですかねえ(笑)。 ところで、「ダイナテック01R」では、ローターに「オプション設定」が初めて出てきたことが特筆されます。 ダイナテック01Rの標準は0.90mm径の19Tシングル巻きでしたが、オプションとして1.00mm径の17Tシングル巻きが用意されたのです。 それまでにも、ワークスメンバー(TRF)やJMRCA参加者へのサポートとして、現場で特注スペックのローターを供給されるようなケースはあったようですが、一般に出回るようなケースはありませんでした。こうした「そのレース限り」のスペシャルモーターを現場で頒布ないし配布する、というノリは、バギーブームの盛り上がりとともに、むしろ今よりもはるかに先鋭化していたようです(歴史を遡ると既に70年代末頃からワークス専用の「全日本スペシャルモーター」は存在してましたけどね)。また、RX-540系では、別々の名称で出された「テクニパワー」「テクニチューン」とも、ローターに互換性があったので実質的にはこの頃からスペアローターにopt設定があったようなものですが、当初からoptとして出てきていたわけではありませんでした。 この頃から、バッテリーにもついに技術革新の波が押し寄せてきます。長らく使われつづけてきた汎用のSCタイプセルが発売後10年を経てついに廃され、新たに大容量の1700SCEセルが登場したのです。タミヤでも「1700EX」として1987年11月に発売されています(Item55038、6000円)。 ただ、このSCEセルは繰り返し充電に弱く、放電特性としても後半にダラダラになってしまい、必ずしもRC用として適していませんでした。そこで、大電流放電が可能で最後まで電圧が持続できる「SCRタイプ」が開発され、「1400SCR」(Item55051、4400円)として登場しました。1990年のことです。容量の表記からも分かるとおり、容量を犠牲にして、放電電圧の落ち込みを抑える方向にセル構造を振った設計になっています。ただ、実際に走行に使える容量でみると、最後までタレにくい分、1700SCEとさほど変わらなかったようです。 折りしも、ニッカドバッテリー市場では、三洋電機の独壇場に松下電池が挑戦を開始し、RCレースでも「パナソニック」が徐々に注目を集め始めました。「1400SCR」はこの争いに終止符を打つべく、サンヨーが繰り出した必殺ウェポンだったわけです。結果的には、「1700SCE」や「1400SCR」の登場をきっかけに、ニッカドバッテリーに「容量競争/特性競争」という新たな戦いが始まり、以後2年ごとに「1700SCR」「1700SCRC」「2000RC(タミヤパックでは不採用)」「2400RC」「3000MH」といった具合に新製品が出る、90年代の怒涛の開発競争に突入していくわけですが・・・。 ![]() 「ダイナテック02H」は1400以上の大容量バッテリーの使用を前提に、コバルトを含有する当時最高レベルの希土類マグネットを贅沢に採用、0.65mm径13Tダブル巻きローターという、今でも十分に通用するスペックで登場しました。 オプションローターはなんと線径0.70mmの10Tダブル! ニッカドバッテリー用としては当時最高レベルのスペックで、 このモーターを含め「ローター無制限(社外品もOK!)」のルールで争われたタミヤGPのツーリングカー・Gr.Aクラスでは、夏場になると、バッテリーコネクターが溶ける!なんて事故もときどき見受けられるほどでした。当時はPL法(製造物賠償責任法)がなかったので、事故は原則としてユーザー責任で、メーカー側は割合とお気楽なスタンスでこんなホットなモーターをリリースできたのですね。懐かしい平和な時代でしたね。 ![]() ![]() 「ダイナテック02H」でもうひとつ特筆されるのは、このモーターがタミヤで初めて、 マブチ以外のメーカーから供給されたモディファイドモーターとなったことです。メーカーは香港のジョンソン社。 ジョンソン、といえば、今では540互換のいわゆる「ジョンソンモーター」で知られますが、80年代のバギーブームには540タイプのストックモーターはあまりレースに使用されていなかったので、どちらかというと当時は「ダイナテック02H」でジョンソン社を知った人が多いのではないでしょうか。 ただ、ジョンソンは世界的にもマブチに次ぐ大手の小型モーターメーカーであり、以後も540タイプモーターの供給を安定化させるためのセカンドソース(代替供給元)として取引が続いていることは皆さんご存知のとおりです。「ジョンソンモーター」がキットに同梱されるようになったそもそものきかっけは、「ブラックフット」系のビッグタイヤのキット同梱モーターとして、540Sより少しパワフルなモーターが欲しくて、 「特製モーター」という触れ込みでに同梱したのが始まりのようですが。 ところで、このようにハイエンドのモーターが年々どんどんスペックアップしていくと、ベーシックな540モーターのスペックは基本的に変わりませんでしたから、パワーの格差は開いていく一方でした。80年代末当時のキットのラインアップ、特に当時主流のバギーモデルをみると、540を同梱した入門用モデルと、テクニ系、ダイナテック系のモーターを同梱した純レースモデルに極端に2分されていたのです。しかし、タミヤ車を買うユーザーの多くは入門者で、いきなり純レースモデルを買ってしまうと、その高性能が手に余ってしまう、といったケースも少なくなかったようです。もうちょっと、おとなしい性能で、540よりはハイパワーなモディファイドモーターが欲しくなってきたのです。 ![]() 蛇足ですが、「スポチュン」は0.80mm径の23Tシングル巻き。ちょうどダイナテック01Rの0.90mm19Tシングル巻きと540S/SHの0.65mm27Tシングル巻きとの中間的な仕様です。この、「入門者にも程よい高性能」がいかにツボを得たものであったかは、後にこの仕様を基準として、日本独特の「23Tストック」が生まれ、JMRCAでツーリングカー・スポーツクラスの規定などに採用されたことからも伺えます。結果論としては、まさに、タミヤモーター史上に残る最高傑作、と言っても過言ではないでしょう。 <90年代:多様化の時代> ![]() しかし、そのF1ブームも一巡し、次にきたツーリングカーブームでは、いかんせん1600gという重量 (その後、見直されて1995年頃から1500g規定になりましたね)が負担となり、540では完全にパワー不足。 満足なパフォーマンスを得るためにモディファイドモーターが見直されました。バッテリー容量も1400〜1700に増えてランタイムの不満も減りましたしね。 この流れから最初に出てきたのが、「アクトパワー」シリーズです。このモーターから、ようやくタミヤでも、 汎用ブラシとしてすっかり一般に定着していた「5×4mmブラシ」が採用されました。めでたし! ![]() 「アクトパワー」シリーズで新しかったのは、「用途に応じたラインアップを用意した」こと、言い換えれば 「多様化したニーズへの対応」という点です。既に「テクニ」シリーズでのローター互換性の確保、 「ダイナテック」シリーズでのoptローター設定という形でその萌芽があったわけですが、 「アクトパワー」ではさらに一歩進めて、パッケージから別個になりました。それだけマーケットが広がっていた、 ということでしょうか。そういえば、この頃から、発売されるキットの数がボディバリエーションの増加という形で 急激に増えました。海外への輸出も伸びたようです。 ただ、アクトパワーで「こりゃヤリ過ぎ」と思ったのが、スポット生産の形で限定販売された 「アクトパワーTRFチューン」(Item49567、8000円、93年12月発売)です。バギー用という触れ込みでしたが、 そもそもは先行して1992年前後に開発が進められていた試作バギー 「TRF411X」 とTRFのワークス活動に合わせて作られたモノでした。 ローターは0.8mmダブル巻き12Tとダイナテック02H以来のハイスペック。マグネットも強化され、ダイナテック02Hのoptの10ターンローター仕様にこそ 敵いませんが、ノーマル状態のタミヤモーターとしては史上最高レベルのパワーをひねり出します。 ![]() そんなこともありましたが、この後もひるむことなく、どんどん新製品が出てきます。1995年末からは、 新たにシンナゴヤ(WAVE)製の「アクトチューンMスペシャルモーター」および「ダイナラン」シリーズが始まります。 「アクトチューンMスペシャルモーター」通称「Mチューン」(op.251、3000円、95年12月発売)は、小型軽量なミニクーパー用Mシャシーに合わせて、ローターの長さを通常の540タイプの1/3に切り詰め、モーターの全長も540タイプのほぼ半分にした特別なモーターでした。通常のモーターと単純比較できるモーターではありませんが、ローターは確か0.65mmの22Tシングル巻きだったと記憶しています。また、分解可能モーターでしたが、軸受けはコスト削減のためオイルレスメタルという、珍しい組み合わせになっていました。 「Mチュ−ン」は、小型軽量、トルクが細い分チューンドモーターにしては扱いやすい特性で、進角変更ができるため、 モーターを逆転で使用するM-02シャシーにも使える、といった点がウリでした。そのへんは狙いどおりのモノだったのですが、 しかしながら、サイズ相応で熱容量が小さくなっているくせに、エンドベルやモーターカンにまったく開口部がなくクーリング性能ゼロで、 走行してすぐに熱ダレを起こしてしまう、やっかいなモーターでした。もっとも、タミヤGPでは2シーズンくらいで MシャシークラスへのEXP参加が禁止となり、Mチューンも使用できなくなりました。2002年頃までカタログに残っていた モデルですが、今、Mシャシーいじってる人には、ほとんど忘れ去られているんじゃないでしょうか。 ![]() ラインアップとしては、モディファイドの「ダイナラン・スーパーツーリング」(ショートスタック15Tシングル= 実質13ターン相当)(op.263、5000円、96年6月発売)とストックタイプの「ダイナラン・ストック」 (ショートスタック20Tシングル=実質17ターン相当)(op.272、2500円、96年10月発売)の2種類が出されました。 いずれもエンドベルは基本的に「Mチューン」と共通の、クーリングの抜けが悪く、ブラシカスが溜まりやすいデザインで、 「アクトパワー」系のエンドベルより加工精度が悪くなってしまったのが残念でした。正直、あまり評判は良くなかったと思います。 他に選択肢がないから仕方なく使ってましたけど・・・。 ![]() 性能的には、「ストック」も「スーパーツーリング」も、狙いどおりのフラットトルクを示し、 スロットルワークにスムーズに反応する扱いやすさとパワーをうまくバランスさせたものに仕上がっており、 新たに採用したブラシ(op.307レーシングモーターブラシとして別売もされたMマーク、後に旧Tマークの刻印に変更されたブラシ)の 高性能と相まって良好なパフォーマンスを発揮。結果的に、タミヤGPでもツーリング用モーターの主軸として、 2001年夏に「スーパーストック23T」シリーズが出てくるまで、 かなり長期にわたって利用されました。 ![]() <そして21世紀:飽くなきパワーアップと一層の多様化へ> ![]() これはしかし一方で、4000mAhとか5000mAhとかという、わずか5年前の1990年代半ばには想像もつかなかったような 大容量バッテリーが登場する道を開きました。 実際、2005〜06年にかけて、Ni-MHセルの公称容量は4200〜4300mAhに達し、06年には電動RCカー用として初めて リチウムポリマー電池パック(5000mAh)もOrionから発売されました。さらに07年に入ってからも GPやインテレクトから相次いで4500〜4600級のセルが発表されています。 当ページを最初に公開した2002年時点での予測が見事に実現した わけですが、その開発ペースは恐ろしいくらいの速さですよね。Ni-MHセルの高容量化はセパレータの薄膜化がかなり限界に近付いているので 5000〜6000あたりで打ち止めになりそうですが、リチウムポリマーはいまだに形状が標準化されていないので今後については 流動的です。標準サイズがOrionのサイズより小さくなれば容量減りますし。それでも、敢えてアグレッシブに予想すれば、 2010年頃には6000〜7000くらいまで容量拡大するかも知れません。レースのランタイムが変わらない限り、 バッテリー容量が拡大すれば、その容量を食い尽くすことを新たな目標としてモーターは常に進化してきました。 あり余る電源をフルに生かせるモーターの開発は、今後も続くことでしょう。 ![]() さて、この「スーパーストック23T」が出てきたのは2001年6月です。タミヤモーターとしては実に5年ぶりの新製品で、中身も大きく 進化しました。製造元は明らかにされていませんが、使われている諸々のパーツからみる限り、他メーカー向けのOEMも 数多く手がけている相模マイクロ製であることは明らかです。ローターはJMRCAの23Tストック規定に準拠した0.80mm径23T シングル巻きで共通、進角も20度で統一されていますが、タミヤモーターとして初めて 「レイダウンブラシ」を採用したタイプR(op.476、2600円)と、標準的な スタンドアップブラシを採用したタイプT(op.477、2600円)が用意されたことが新機軸でした。 ![]() ![]() ちょっと残念だったのは、Ni-MHセルの普及で、ツーリングカーの世界では無負荷で4万〜5万回転という、 540サイズのモーターの物理的限界を試すような極太シングルターンモーターが主流となってしまい、 11Tというのはかなり中途半端な設定で、結局ほとんど活躍の場がなかったことです。タミヤGPでも お茶濁しでほんの1〜2回の出場機会があっただけでしたからね。それに、意外にトルクが細くて、 11ターンと言いながら実質的には13ターンくらいのパワーだったことも期待外れでした。 結局、ダイナテック02Hを超える「タミヤ最強モーター」の真打ちは、2004年12月発売の 「トランスピードMS(9T)」を待たなければならなかったのです。 「トランスピードMS」シリーズは、タミヤが1999年7月に「TRF414X」をアメリカでリリースし、 「ツーリングカー世界戦タイトル奪取」を目標にワークス活動を再開して以来の流れを汲んだ、最高峰の純レース用モーターです。 04年ISTCの「3600バッテリー+6セル5分レース」フォーマットに最適化したシングル9T仕様のItem49347は04年12月14日に、 06年のJMRCAエキスパートクラスの「4セル8分」フォーマットで4200以上のセルを使うことを前提にした、 シングル10T仕様のItem49386は06年3月29日にリリースされています。その最大の特徴は、Team Orionが開発した 「V2テクノロジー」と称されるエンドベル&ブラシセットを採用した点にあります。 「V2テクノロジー」とは、ブラシを45度に寝かせてV字型に配置するレイアウトを採用し、 ブラシ形状も「円筒形」というまったく新しい形を採用することにより、パワーと燃費、エンドベルの冷却効率を 新しい次元に引き上げた、一連のエンドベル回りの技術体系です。それが単なる「見せかけ」でなかったことは、マーク・ライナート選手が 2004年のISTCでTRF415MSに勝利をもたらしたことで十分証明されています。ただし実際のレースシーンでの認知はもっと早く、 既に2003年頃からOrionやそのOEM先がV2エンドベルを装備したモーターを相次いで投入し、普及が進んでいました。 04年の暮れにようやく「トランスピード」を出したタミヤは、V2系モーターのOEM先としては最後発グループでした。 定価も1万2800円(税抜)と一気にタミヤモーターの記録を塗り替えてしまうほど高価だったため、 タミヤGPで使用OKになったことはありません。そもそも、 このモーターが前提としているハイエンドシャシー(特にTRF415MSXなど最新モデル)の活躍の場が現在のタミヤGPでは極端に 制限されていることもありますし、モーター価格も高くて供給も限られているので、現時点では タミヤGPでの使用はそぐわないと判断されているのかも知れませんね。しかも主戦場であるはずの オープンレースシーンでは、2006年頃からブラシレスモーターの解禁が徐々に始まり、07年以降はもうすっかりブラシレスが主流になってしまいましたから、今はもうトランスピードMSの活躍の場は事実上なくなってしまった状態です。 ![]() タミヤGPで使われるモーターにしても同様に、「ハイエンドから二歩引いた」スタンスが垣間見えます。 「スーパーストック系」の発売以来、タミヤGPで使われる最高クラスのモーターは23Tストック、というスタイルが すっかり定着しました。さらに2004年頃から固定ギヤ比のルールも段階的に導入され、一段とイコールコンディション化と エントリーコストの抑制が推進されました。 しかしそれでも、バッテリーが年々パワーアップするものですから、中級クラスのレース参加者には23Tストックのパワーが 手に負えない状況が出てきていました。とはいえ、その「下」のモーターというとスポーツチューンしかなく、コレはコレで かねてからブラシ寿命の短さや性能のバラつきなどの点で多くのタミグラファンから不評をかこっていたことも事実です。 また、ちょっとタミヤGPから離れてライトユーザー層の動向を眺めると、最近は25〜35ターンといった、従来よりかなり ターン数の低いチューンドモーター(ブラシ交換式ストックモーター等)が売れていることに気づきます。なかでも目立つのは 「ドリフト」用途に多ターンモーターを買うユーザーの台頭です。こうした新しいユーザーの広がりもあって、 従来、540やスポチュンがカバーしていた領域に5×4mmブラシモーターをoptとして発売していく余地が出てきたわけです。 ![]() そのような背景から登場してきたのが、25ターンという新しいターン数の基準を作った 「GTチューン」と、5×4mmブラシ仕様の27ターンモーターとして、入門用チューンドモーターの 新基準となった「ダートチューン」、さらに07年の静岡ホビーショーで追加された 28ターンの「ライトチューン」です(詳しくはそれぞれのリンク先を見てください)。 ![]() 一方で、日進月歩の23Tストックのアップデートも抜かりなく進んでいます。06年7月には「タイプBZ」が 登場しました。今後も4500〜4600級バッテリーの登場と07年シーズンからのJMRCA規定の改訂でスタンドアップブラシ仕様ストックモーターの 進角設定が自由化されたことに対応したニューモデルが登場することは間違いありません。 ![]() タミヤGPのスタンダードモーターとして長期にわたって仕様変更が見込まれない「GTチューン/ダートチューン」系と レースシーンの潮流に合わせて変わっていく「トランスピード」系との ![]() (参考文献) 立風書房「タミヤRC四半世紀の記録」ザ・タミヤRCカーズ特別編集、2001年6月) (おわり) ![]() |