last updated Apr 7, 2024


RCTについて


RCTって何?

<ヒストリー>
RCT(RC Car Trend)はメールマガジンというシステムが日本で生まれ、徐々に普及しはじめたばかりの1998年5月、 世界初のRCカー専門メールマガジンとして「まぐまぐ」ID No.4674でスタートしました。翌6月にはバックナンバーの メンテナンス用としてwebサイトをオープン。細々としたところからのスタートでしたが、当時、ホームコースとしていた 東京・渋谷トップサーキットに出入りする知人友人の協力も得られるようになり、徐々に内容も拡大。早くから独自ドメインの取得にも力を入れ、1999年2月に"rctrend.com"、同年11月には"rct.ne.jp"を取得。2000年1月から"rct.ne.jp"ドメインを中心とする体制に本格的に移行しました。これを受け、"rctrend.com"ドメインを2001年3月に廃止する一方、汎用jpドメインの一般登録が始まった2001年7月に"rct.jp"を取得。また、ブロードバンド時代の到来を見越して1998年から取り組んできたインターネット放送「RCT-TV」の専用ドメインとして、"rct-tv.com"を2001年2月に取得し、運用開始しました。
このほか、シャシー紹介やイベントレポートについては、 2002年8月以降、rajicon.netドメインを取得し、補完的なポータルドメインとして運用しています。

2002年から5年余りにわたって以上の体制で運用していましたが、サイト10周年事業として 2007年11月に8年ぶりにメインサーバ業者を変更するとともに、 主ドメインをrct.jpに切り替え、rajicon.netドメインに置いていたコンテンツをrct.jp内に統合しました。
2012年9月には、サイト15周年を機にメインサーバ(rct.jp)の再引っ越しを実施。容量制限なしのため再引っ越しの心配がなくなりました。またサーバスペースのドメイン別利用が可能になり、協賛イベント「F1RCGP」へのサーバ提供を開始。2015年12月現在、YouTubeコンテンツを除くベースでも4Gバイト近くのコンテンツボリュームを管理・運用しています。

内容面では、2005年9月から会員制コンテンツ「CLUB RCT」をスタート。 2006年1月にコンセプトを一部改めた「BBSユーザー登録制度」として再スタートし、 現在に至っています。2006年12月にはトップページ200万ヒットの大台を超えました。 さすがに最近は更新がないのでヒット数落ちていますが、2016年中には300万ヒットに到達しそうです。

これからも全世界のRCファンに役立つサイトとして一歩一歩着実に発展できるよう努力してまいります。皆様の応援をどうぞよろしくお願いいたします。

<ミッション>
1999年9月当時のトップサーキット そもそも代表・伊藤がRCTの活動を始めた動機は、RCカーを一緒に楽しむ仲間を増やしたい、ということでした。さらに言えば、「レースレベルの向上につながる、強力なチーム/ドライバーを、自分が活動拠点としている渋谷トップサーキット並びにタミヤGPに呼び込みたい」という狙いも含まれていました。都内最大級を誇った渋谷トップサーキットという魅力的なフィールドに、力のある選手が集まり、ハイレベルなバトルを繰り広げる。その中に自分も混ざることができればどんなに楽しいか? そんな思いからでした。

そんなわけで、当初の具体的な活動は、単に渋谷トップサーキットの「私設応援団」に過ぎませんでした。

1995年頃から、関東圏内に最新設備をもったサーキットがいくつか登場し、ユーザーが分散するなかで、 トップサーキット自体が本格的なプロモーションをWeb上で行うことは、諸般の事情から非常に難しかったため、 このような情報発信のあり方も許容されるのではないかと考えたわけです。
当時、渋谷駅ビル屋上にあったシブヤ・トップサーキットは、 首都圏一都三県の3000万人(ヘタな1国家よりデカいです)のほぼ全域から90分以内にアクセスできる、という 絶好のロケーションを背景に、関東の電動RCカーファンのレベルアップと相互交流に多大な貢献を 果たしていました。しかし、オープン7年目を迎え、老朽化も目立つようになり、存続が危惧される 状況にあったのです。

結局、トップサーキットは、1999年、2000年と利用者数が連続で前年比50%前後ダウン、 という厳しい状況が続いたことから、2001年5月、ファンに惜しまれつつ閉鎖されました。オープンから10年が経ち、建物も古いので、屋上床面の防水工事をしないと雨漏りが・・・という状況だったそうで、でもRCサーキットじゃ儲からないから予算無いよね・・・と悩んでいたところ、スポーツ用品のア○ィ○ス社から丸抱えのオファーがあり、当然ながらRCサーキットはキックアウト。たちどころにフットサル場に衣替えしてしまった、というのが主要な関係者が定年退職した今だから語れる裏話。自分も、翼くんのマンガ連載が始まるよりずっと前、釜本さんがまだ現役だった?頃に少年サッカーを少しかじってたんで、別にサッカーファンのことを恨んじゃあいませんが、今でも渋谷に行った折に、スクランブル交差点から東急東横店の屋上を見上げると、RCユーザーの情けなさと、サッカーすげぇなぁ、いつか見返してやる、という思いが交錯するのです。

ひるがえってRCT内部では、RCTをスタートして間もなく、 RCT代表であるふぇら〜り伊藤の本業が変わり、 これを契機に、「トップサーキット情報の発信」から「全国のRC情報の収集・発信」および 「RC関連ビジネスの支援」へと活動内容のステップアップを志向し始めました。 もともと、単なる個人情報の発信サイトとは一線を画したスタンスで始めたわけですが、 「個人サイト」のフリーな雰囲気を残しながらも、ある程度、営利サイト的な整然さを持つ 格調あるサイトにしたいと考えたのです。まぁhtmlもPerlもデザインもツールなし(テキストエディタと無料の画像編集ソフトのみ!)、先生ナシ、参考書ナシ(あるのは当時のweb上の乏しい情報のみ)の自分にできる範囲なので、かなり限界ありましたけど・・・。

RC関連ビジネスの支援、というテーマは、空前のF1ブームと、その後に続いたツーリングカーブームの後に RC業界の大不況が必ず来る、という認識のなかで、トップサーキットの閉鎖前から意識していたことです。 2000年頃から、関東一円でもサーキットを持たないRCショップの閉鎖が相次ぐようになり、2002年9月には ついにタミヤRCファンのバイブルとして貢献してきた、立風書房 「ザ・タミヤRCカーズ」が廃刊に追い込まれたことなどを見るにつけ、残念ではありますが「当たって欲しくない予想」が見事に 的中してしまった感を強めています。

国内市場に限って言えば、そもそも1990年代以降、RCビジネスはお世辞にもあまり儲かる事業ではありませんでした。1980年代はRC模型ブームの波やベビーブーム世代の購入の盛り上がりなどが追い風になってずいぶん儲かったようですが、1992年頃までのバギーブームが過ぎ去るとあとはジリ貧。ツーリングカーブームはラストリゾートでしたが、それも2000年以降のTRF414のJMRCA〜IFMAR優勝を皮切りにタミヤ一人勝ちの時代が続き過ぎ、ペンペン草も生えない状況になってしまいました。ライバルを圧倒する、というのは、ビジネスとしては至って正論なのですが、ユーザー目線に立てば、RCホビーは娯楽、すなわちエンタメです。その意味では、「一人勝ち」は市場を盛り下げてしまう要因なのです。盛り上がるには、同じくらい魅力的なライバルの存在が欠かせません。だからといってタミヤに手抜きしてJMやIFMARで負けて欲しいとは、これっぽっちも思いませんでしたけど。

1990年以降、バブル経済崩壊でユーザーの財布は年々寂しくなる一方、少子化の進展による若年人口のピークアウト、公園など公共の場でのRC走行が迷惑行為扱いされるようになるといった逆風も吹き始めました。旧態然とした流通の仕組みが温存され、小売店のマージンは非常識なほどに少ない。儲からないから小売店の新規開業が非常に難しく、ユーザーが広がらない。
電動RCカー40年の歴史は、メーカーや雑誌、ショップが現れては消えていった歴史です。

このような状況は、こと電動RCカーに限って言えば、過去にも何度か繰り返されてきました。
構造的に、おもちゃ業界と似たところがあるのです。
「模型」というくくりで見た場合には、 70年代のミリタリーブーム、スーパーカーブーム、ガンダムブーム、80年代のミニ四駆ブーム、といった具合にうまく波が重なり、ある模型店の店主に言わせれば、意外にも「戦後50年間、不況らしい不況はなかった」のだそうですが、RCを専門に取り扱うショップでは、そうした安定性を確保するのは至難の業だったわけです。

不安定な業界にあって、安定した活動をやっていくにはどうすればいいか。
設立10年の努力がここに結晶! タミヤ公認DVD「ワーチャン2007」08年1月より絶賛発売中 そう、「儲けようと思わなければいい」のです。そこでRCTは、NPOとして活動することを選択しました。もちろん、組織的な活動を行っていくためには、将来的に収入基盤を作っていく必要は感じています。しかしその収入は基本的に、普通のRCファンが個人では成し得ないような取材活動や大量の調査サンプル購入、イベント協賛、情報発信手段の確保といった費用に充当され、社会に還元されればいいと。

もし、このようなNPO的システムが存在せず、営利事業としてのRCビジネスしかこの世に存在できないのであれば、「趣味」としてのRCは、ブームとともに増えたり減ったりするRCビジネス参加者に翻弄され、いつまでたっても厚みを増すことなく、「ヘビーユーザーだけのもの」で終わってしまうと思います。「商売にならないものに社会的価値はない」というビジネスライクな考え方にもある程度共感するものはありますが、「趣味の世界」というのはそれだけじゃなかろう? と。
だからこそ、「損得勘定抜きの価値観」を世の中に広める「手段」を自分の手で創り、広めたいと思うわけです。

かなり乱暴な話になりますが、日本人のおよそ半分、つまり6000万人くらいは「クルマ」というものに何がしか関心があるのではないでしょうか。近年の若者は、可処分所得が少なすぎて手が届かないのでクルマに興味がなくなっている、という話もありますが、地方の大人の方なら、今や間違いなく運転免許持ってるわけだし、都会で免許持ってなくてもタクシーやバスを利用するわけで、誰しもクルマとの関わりは何かあって、それなりに関心もあったりなかったりするだろうと思うわけです。

それなのに、最もすそ野が広い電動RCカーでさえ、多く見ても10万人程度(日本国内)しかユーザーがいない。近年はミニッツレーサーとかエアロアールシーのおかげでライトユーザーも増えていますが、それでも30万人もいるでしょうか? 継続的な競技人口となるとグッと絞られて、2007年頃には1万人と推計していましたが、2015年現在では5〜6000人くらいになってしまっているのではないでしょうか。これは「スポーツ」として見ると、相当マイナーな部類です。ハンドボールの競技人口だって10万人いるんですからね。別にレースをしなくてもいいんですが、「理由」と「場所」がなければ継続的にRCを楽しむはずなんてないわけで、その意味で競技人口というのはひとつの重要な指標です。
RCTは、このギャップを埋めるひとつのきっかけ作りに役立ちたい、と願っています。

Apple Comuterを創業したSteve Jobs氏が、一度は追い出された自分の会社に社長としてカムバックしたときの有名なセリフで


「Appleがあれば、世の中はちょっぴり息が楽になる」


というのがあります。創設以来、RCTを支えてきたのは、まさにこの精神です。 RCTがあれば「RCがちょっぴり取り組みやすくなる」人が増えるのであれば、 それはとても素敵なことだと思います。

RCTでは、明確な目的を設定する意味から、あえて「レース」とか「タミヤGP」という側面を強く打ち出しています。「競争」という行為は、限界を追求するが故にさまざまな事象を浮き彫りにし、解明の手がかりを与えてくれるからです。しかし、だからといってRCTが「レースのことしか頭にない」などと理解されるとしたら、それは勘違いもいいところです。確かに、RCレースは実車よりはるかに安全・低コストで楽しいですから、「みんなでやればいいじゃなーい?」とは思いますけれども、様々な事情でレース経験がない方のほうがRCユーザー全体としては圧倒的に多い、ということをRCTは常に意識しています。そういう方は、ご自分の立ち位置に合わせて、情報を取捨選択していただければいいのです。 サイト利用者がどんな立場の方であれ、RCTが果たすべき役割は、「ウソのない現実的な情報を取り揃える」ことに尽きる、と考えています。「レース」という場はあくまで「実験室」であり、問題提起と正解への手がかりを得るための手段に過ぎない、というのがRCTの考え方なのです。要は、より手軽にRCに取り組める人たちのために喜んで人柱になりましょう、ということです。それなりに自分も楽しみながら、ということなので、人柱になり切れない時もありますが・・・。

なお、代表・伊藤は、ワークスに呼ばれるほど上手いドライバーではありません。 練習時間も、1年に10回程度、しかも1回につき2時間あるかないかくらいしか取れません。 ですが、一応、レース活動を休止するまでは、タミグラポイントランキングでは毎年100位以内を キープしていましたし、タミヤ世界戦の代表にもなりました。F1からMシャシー、 タムテックからバギーまで、ほとんどあらゆるジャンルのタミグラでAメインを経験しています。
タミヤのパーツに関しては、カスタマーの松○さんの次に詳しいんじゃないか? という自負もあります(ホントか?笑)

その経験を、サイトコンテンツとして整理して公開すれば、後に続く皆さんにもそれなりに役に立つんじゃないか? そもそも、ワークスの人は、言いたいことを放言すると問題になるから、往々にしてボカした言い方しかできないだろうし、使用する機材やパーツにも縛りがあるし、結果出さなきゃ商品売れないんだから、自分みたいに細かいこと解説してるようなヒマもないよね!? メディアの人だって、スポンサーでもあるメーカーさんの意向を無視して記事は書けないし。だったら、何の縛りもない立場であらゆるメーカーの商品を自由な視点で語れる自分が役に立つことも多いんじゃないか?
・・・と思ったわけです。

「モノで競争するんじゃなくて、ウデと知恵で競争しようよ!」というスタンスに立ち、長年の経験で磨き込まれたノウハウを包み隠さず正直ベースで披露しちゃおうと。
その結果、自分がレースで上位に入れなくなっても構わないのです。速い人が増えれば当然なんですから!
でも、申し訳ないですが、オジさんはそんなに簡単にヤラれたりはしません(大笑)やれるもんなら、やってみろ〜!!

いつの日か、「予選でふぇら〜り伊藤に勝つ(ただしフェアにね)」が「Aメインに入る」と同じくらいのベンチマーク(評価基準)というか「勲章」になるなら、そりゃ本望も本望、というものです。そのためには、自分ももっともっと、「上手いドライバー」にならないとネ!負けないぞぉ〜(笑)

こんな取り組み方、「結果」を出すことが要求されるワークスの方々には絶対に無理です。
自分みたいに「負けてもいいや」と思ってレースを楽しむのと、「負けたら大変だ」というプレッシャーを背にレースに出るのでは良い意味でも悪い意味でも天地の差があります。どちらが良いかは考え方次第ですが、自分としては、職業ではなく趣味としてRCに取り組んでいる以上は、どんなガチレースであっても、フェアでありたいし、自分のやりたいように楽しむことが優先されるべきだと思うのです。たとえそれがワークスの流儀にそぐわないようなこと、例えば、見た目悪いからと言って電波的に不利でもアンテナをボディ内に収納しちゃうとかいったことであっても。

言い換えれば、RCTの取り組みは、RCの世界で「正しいと思いこまれている価値観」に対し、疑問を投げかけ、議論を喚起し、深堀りしようという、破壊と再創造の試みでもあるのです。そしてこれはまさに「サイエンス」のプロセスそのものでもあります。RCTは、RCカーレースをフィールドとして、その場で起こるさまざまな事象を科学することを当初からの目的としています。今ではRCレース界の常識となっている、Ni-MH電池やLi系電池をウォーマーで昇温して運用することのメリットとリスク、最適温度の見極めなどを、これら電池の普及初期段階から公表したり、モーター冷却によるパワーアップ効果の定量的な試算を示したり、パワーソース系のあらゆる構成要素の抵抗値を測定し公表したことなどは、当サイトならではの成果です。

こういったことをフェアにシェアするには、「ワークスじゃない人によるレース志向サイト」こそ最も都合が良いわけです。これからもRCTは、そうした趣向のサイトを代表する存在であり続けたいと願っています。


もうひとつ。
日本では、トイRCのみならずホビーRCさえも一般にはまだまだ「子供のオモチャ」という認識です。
これはタミヤが電動RCカーを発売して以来、この40年間、どうしても変えられなかった部分です。
長年親しんでいるユーザーの1人としては、大変残念なわけです。

「大の大人がRCやってる? オタクやな〜」という「世間の目」を何とか変えられないだろうか。

もっと明るく、堂々とRCを楽しめる環境を作りたい。

それには、桁の1つか2つ違うところでRCが普及しなければなりません。
また、RCホビーの魅力のみならず、楽しむために必要なノウハウまで伝える媒体が必要です。
さらに、RCホビーの教育的観点からの評価を、もっと社会に認知してもらうことも重要です。
これが、RCTの次のチャレンジです。

言ってる事とやってることが噛み合ってないと思われる方もいらっしゃると思います。
その通りです。やるべきことはたくさんあります。
そのためには、まず、応援してくださる方が増えないと話になりません。
アイデアだけはたくさんありますので長期プロジェクトはいくつか暖めています。
中には莫大な資金を必要とするものもあり、実現できるかどうかは現段階では分かりません。
ただ、ひとつ言えることは、
これらをやり切れるのは、多分、自分達しかいないだろう、ということだけです。今はこれだけ。
自分たちの構想を超えるプロジェクトが登場したら、さっさと引っ込んで楽をしたいのですが(笑)。

近年、特にリチウム系電池&ブラシレスパワーが標準となった2010年以降、RCメカやクルマの性能の向上と引き換えに耐クラッシュ性や耐久性が犠牲となるケースが増え、設計や組立、セッティングなどのエンジニアリングも年々高度化してきています。初心者の方にとっては、走る環境の問題と合わせ、取り組みの敷居が年々高くなっているのが現実です。RCTとしては、この点が気がかりでなりません。これからも、「ただ走らせているだけで楽しかった」RCを始めた頃の気持ちを決して忘れずに、RCホビーの楽しさを追求していく考えです。同時に、最新RCメカ/シャシーの難解な仕組みや調整法、メンテナンス方法について、原理原則に立ち戻って徹底的にあらゆる「なぜ?」を解き明かしていくことにより、すべてのRCファンに役立つ情報を発信し、RCを楽しむ機会を提供していくサイトであり続けたいと願っています。

というわけで、RCTは謙虚な姿勢を忘れずに、地道に、着実に進んでまいります。
1年後、3年後、10年後のRCTの姿にご期待ください!

驚くべきことに、レース活動を休止して5年あまりが経ち、サイトメンテナンスもほとんどできず、スマホ対応ページもなく、書いているhtmlのバージョンも古すぎて最新のブラウザでは表示すらヤバくなってきているにも関わらず、相変わらず「RCT」で検索すれば、検索結果のトップ5に表示される状況を維持できています。BBS会員の新規登録も、ボチボチとですが切れ目なく続いています。これらはひとえにRCTの提供するコンテンツに多かれ少なかれご興味と共感をいただき、アクセスしてくださっている皆様のおかげです。これからも応援をどうぞよろしくお願いいたします!

2015年12月18日更新
(更新頻度はどうあれ、少なくとも自分が生きてる限り、RCTは前進あるのみです!)


代表者紹介
ワイ@5歳 ふぇら〜り伊藤(伊藤成治〜いとう せいじ)
もともとは小学生の時からのタミヤRC使いながら、金満オヤジ連中相手のレースに限界を感じ、高校1年でレース活動を休止。JMRCA参加&どこかのワークス入りを目指して東京の大学に進学するも、全然RCとは関係ない音楽関係(オーケストラ)の活動にハマってしまう。学生時代は結局RC活動全面休止。
せっかく下宿にまで持ってきていたRC一式も実家に送り返して社会人に。

ところが就職3年目の1992年夏、日経新聞夕刊コラムで渋谷トップサーキットのオープンを知るや、その2時間後には あり得ない定時退社攻撃(笑)で現地に馳せ参じ、即決で会員(No.113)に。これが現在に至る社会人としてのRC活動再開のきっかけでした。 「レースカーのボディーカラーなら、絶対なくならないフェラーリでしょ、やっぱ。 RCレースって赤で単色塗りのボディってほとんど見かけないしー、塗るの簡単だしー」という実に単純明快な理由で、 鮮やかな赤いボディと黄色いホイール、AgipやShellのステッカーを パーソナルカラーとして、少年時代のウップンを晴らすべく、とりあえずエントリーコストの低い タミヤGP中心にRCレースにドップリとハマっていったのでした。もともと「頭カラッポでひたすら走るのが好き! (理由は今もって不明、たぶん動物的欲求<笑>)」という タイプでしたから、当初は2時間で10パック(ほとんど休み時間なし!)とか、ムチャクチャなコトをやっていたものです(笑)。 今でこそ、人並みに(?)1時間で1〜2パックしか走らないペースになりましたけど・・・。

最近発掘したリザルトを見て気がついたことに、 タミヤ全日本代表権のかかった1994年8月の静岡タミヤGP(フレッシュマンフォーミュラ)では、 後にタミヤに入社しTRFに参画した青木孝憲選手と1-2フィニッシュしていたことが判明(笑)。翌95年の静岡GPでも F-1・Bクラスで2位でした(その時の勝者は、デーブさんじゃないほうの現・ヨコモ「○藤さん」 だったのはココだけの話)。 当時は「そんなもんかな」という感じでしたが、今から考えると、 結構もったいない形で何度も代表権逃してるな〜、と(苦笑)

RCカーGP(1993年2月頃)。RC復帰から間がなく、予選一発は良くてもレースパフォーマンスはズタボロでちょっと悩んでた時期。この頃はまだホイールも黒色<笑> 98年3月まで続いたTVレース「タミヤRCカーGP」では5回出場、優勝2回、抽選落ち多数。
F1のみならず、四駆ツーリングやFF、Cカーなどタミヤの主要シャシーはひととおり手がけましたが、 最盛期はやはり95年〜96年にかけてのタミヤGP・ミニスポーツEXPクラスでの4回連続優勝でしょうか。 F1ではなかなか勝てなかっただけに、 「鶏口牛後」を強く実感しました。

その後仕事の関係でアメリカはニューヨークに移住してTCS(タミヤ全米選手権)に参加、 97年7月にメリーランド州で開催された東海岸予選をF1クラスでトップ通過。
また4セル1/12+ストックモーター、という世界に遭遇し、1シーズンながら、 東海岸各地のローカルレースでは何度か勝ち星も上げて「ジャパニーズ恐るべし」 というイメージを植え付け帰国。

帰国直後は子供も生まれ、仕事も変わったので、RC活動はほぼ休止状態でしたが、 これまでに培った知識とノウハウを全国のRCファンと共有し、生かしてもらえればとの思いから、RCTを創設。
以後、サイトの充実に努めてきましたが、2001年にはシブヤ・トップサーキットが閉鎖され、 レース活動の主たる場が消滅するというRCT始まって以来の大危機に直面。仲間の離散、情報量の激減、 といった問題を乗り越え、現在まで運営を継続しています。
まぁサイトはネタさえあれば、走れなくても続けられますから・・・

2002年には、ラリークラス静岡代表として、ツインメッセ静岡でのタミヤ世界戦にも参加。コントロールプラクティス2位と滑り出しは上々ながら、まぁイロイロあって決勝の結果はメタメタ。いい経験になりました。まぁ楽しかったのと良い出会いがあったので良し。

2002年タミヤ世界戦 そんなわけで、タミヤGPについては、2009年度までフル参戦を続けていましたが、2010年度のMクラスファイナル@掛川の代表権をゲットしたところで諸般の事情によりレース活動を休止、現在に至ります。ちなみにTRFサポーター会員番号は、初代限りですが、栄えある「00001番」を頂きました。申し込み開始の1時間前から電話に張り付いてたバカが自分くらいしかいなかっただけなんですけどねw。残念ながら更新時に、TRFサイトのお知らせを見逃して296番まで下がっちゃいましたけど・・・。

おかげさまで子供も大学生となり、あとひと息で手が離れるので、またレース活動できるようになれたらいいな、と願っています。以前から、70歳でのタミヤGPポイントランイング100位以内&タミヤ世界戦出場を目標としている旨を時々語っていましたが、老眼がだいぶ出てきた昨今でもその目標は変えていません。あと20年後。その時にはRCTも創業40年近くにw! 果たしてその頃のブラウザは、1990年代に書かれたhtmlコードを正しく表示してくれるのでしょうか!? RCTの挑戦はまだまだ続きます。乞うご期待!


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