RCTって何?
<RCTヒストリー>
RCT(RC Car Trend)はメールマガジンというシステムが日本で生まれ、徐々に普及しはじめたばかりの1998年5月、
世界初のRCカー専門メールマガジンとして「まぐまぐ」ID No.4674でスタートしました。翌6月にはバックナンバーの
メンテナンス用としてホームページもオープン。細々としたところからのスタートでしたが、当時、ホームコースとしていた
東京・渋谷トップサーキットに出入りする知人友人の協力も得られるようになり、徐々に内容も拡大。1999年2月に
"rctrend.com"、同年11月には"rct.ne.jp"のドメインを取得し、2000年1月より"rct.ne.jp"ドメインを中心とする体制に
移行。"rctrend.com"ドメインは2001年3月に廃止、2001年7月に汎用jpドメイン"rct.jp"を取得。
また、ブロードバンド時代の到来を見越して98年から取り組んできたインターネット放送「RCT-TV」の専用ドメインとして、
"rct-tv.com"を2001年2月に取得し運用開始しました。
このほか、シャシー紹介やイベントレポートについては、
2002年8月以降、rajicon.netドメインを取得し別サーバで運用していました。
2002年から5年余りにわたって以上の体制で運用していましたが、サイト10周年事業として
2007年11月に8年ぶりにメインサーバ業者を変更するとともに、
主ドメインをrct.jpに切り替え、rajicon.netドメインに置いていたコンテンツをrct.jp内に統合しました。
この結果、07年12月以降はrct.jpおよびrct-tv.comの2サーバ体制で2Gバイトを超えるコンテンツを運用しています。この体制で向こう10年続けられたらイイのですが・・・。
コンテンツ面では、2005年9月からは会員制コンテンツ「CLUB RCT」をスタート。
2006年1月にコンセプトを一部改めた「BBSユーザー登録制度」として再スタートし、
現在に至っています。2006年12月にはトップページ200万ヒットの大台を超えました。
これからも全世界のRCファンに役立つサイトとして一歩一歩着実に発展できるよう努力してまいります。皆様の応援をどうぞよろしくお願いいたします。
<RCTのミッション>
そもそもRCTを考案したのは、RCカーを楽しむ仲間を増やしたい、ということからです。
しかし当初の具体的な活動は、単に渋谷トップサーキットの「私設応援団」に過ぎませんでした。
1995年頃から、関東圏内にも最新設備をもったサーキットがいくつか登場し、ユーザーが分散するなかで、
トップサーキット自体が本格的なプロモーションをWeb上で行うことは、諸般の事情から非常に難しかったため、
このような情報発信のあり方も許容されるのではないかと考えたわけです。
当時、渋谷駅ビル屋上にあったシブヤ・トップサーキットは、
首都圏一都三県の3000万人(ヘタな1国家よりデカいです)のほぼ全域から90分以内にアクセスできる、という
絶好のロケーションを背景に、関東の電動RCカーファンのレベルアップと相互交流に多大な貢献を
果たしていました。しかし、オープン7年目を迎え、老朽化も目立つようになり、存続が危惧される
状況にあったのです。
結局、トップサーキットは、1999年、2000年と利用者数が連続で前年比50%前後ダウン、
という厳しい状況が続いたことから、2001年5月、ファンに惜しまれつつ閉鎖されました。
ひるがえってRCT内部では、RCTをスタートして間もなく、
RCT代表であるふぇら〜り伊藤の本業が変わり、
これを契機に、「トップサーキット情報の発信」から「全国のRC情報の収集・発信」および
「RC関連ビジネスの支援」へと活動内容のステップアップを志向し始めました。
もともと、単なる個人情報の発信サイトとは一線を画したスタンスで始めたわけですが、
「個人サイト」のフリーな雰囲気を残しながらも、ある程度、営利サイト的な整然さを持つ
格調あるサイトにしたいと考えました。現状ではまだまだ全く力不足ですが。。。
RC関連ビジネスの支援、というテーマは、空前のF1ブームと、その後に続いたツーリングカーブームの後に
RC業界の大不況が必ず来る、という認識のなかで、トップサーキットの閉鎖前から意識していたことです。
2000年頃から、関東一円でもサーキットを持たないRCショップの閉鎖が相次ぐようになり、2002年9月には
ついにタミヤRCファンのバイブルとして貢献してきた、立風書房
「ザ・タミヤRCカーズ」が廃刊に追い込まれたことなどを見るにつけ、残念ではありますが「当たって欲しくない予想」が見事に
的中してしまった感を強めています。
そもそも従来から、RCビジネスはお世辞にもあまり儲かる事業ではありません。コストの高いパーツを
安く売ろうとしているわけですから当たり前です。しかも、流通の仕組みは旧態然のままで、
マージンも非常識なほどに少ない。儲からないから小売店の新規開業が非常に難しく、ユーザーが広がらない。
電動RCカー30年の歴史は、メーカーや雑誌、ショップが現れては消えていった歴史です。
このような状況は、こと電動RCカーに限って言えば、過去にも何度か繰り返されてきました。
構造的に、おもちゃ業界と似たところがあるのです。
「模型」というくくりで見た場合には、
70年代のミリタリーブーム、スーパーカーブーム、ガンダムブーム、80年代のミニ四駆ブーム、といった具合に
うまく波が重なり、ある模型店の店主に言わせれば、意外にも「戦後50年間、不況らしい不況はなかった」のだそうですが、
RCを専門に取り扱うショップでは、そうした安定性を確保するのは至難の業だったわけです。
不安定な業界にあって、安定した活動をやっていくにはどうすればいいか。
そう、「儲けようと思わなければいい」のです。そこでRCTは、NPOとして活動することを選択しました。
もちろん、組織的な活動を行っていくためには、将来的に収入基盤を作っていく必要は感じています。しかしその収入は
基本的に、普通のRCファンが個人では成し得ないような取材活動や大量の調査サンプル購入、イベント協賛、
情報発信手段の確保といった費用に充当され、社会に還元されればいいと。
もし、このようなNPO的システムが存在せず、営利事業としてのRCビジネスしかこの世に存在できないのであれば、
「趣味」としてのRCは、ブームとともに増えたり減ったりするRCビジネス参加者に翻弄され、いつまでたっても厚みを増すことなく、「ヘビーユーザーだけのもの」で終わってしまうと思います。「商売にならないものに社会的価値はない」というビジネスライクな考え方にもある程度共感するものはありますが、「趣味の世界」というのはそれだけじゃなかろう? と。
だからこそ、「損得勘定抜きの価値観」を世の中に広める「手段」を自分の手で創り、広めたいと思うわけです。
大雑把な話、日本人のおよそ半分、つまり6000万人くらいは「クルマ」というものに何がしか興味があるのではないでしょうか。
それなのに、最もすそ野が広い電動RCカーでさえ、多く見ても10万人程度(日本国内)しかユーザーがいない。近年はミニッツレーサーとかエアロアールシーのおかげでライトユーザーも増えていますが、それでも30万人もいるでしょうか? 継続的な競技人口となるとグッと絞られて1万人くらいではないでしょうか。これは「スポーツ」として見ると、かなりマイナーな部類です。ハンドボールの競技人口だって10万人いるんですからね。別にレースをしなくてもいいんですが、「理由」がなければ継続的にRCを楽しむはずなんてないわけで、その意味で競技人口というのはひとつの重要な指標です。
RCTは、このギャップを埋めるひとつのきっかけ作りに役立ちたい、と考えています。
Apple Comuterを創業したSteve Jobs氏が、一度は追い出された自分の会社に社長としてカムバックしたときの有名なセリフで
「Appleがあれば、世の中はちょっぴり息が楽になる」
というのがあります。創設以来、RCTを支えてきたのは、まさにこの精神です。
RCTがあれば「RCがちょっぴり取り組みやすくなる」人が増えるのであれば、
それは素晴らしいことではないでしょうか!
RCTでは、明確な目的を設定する意味から、あえて
「レース」とか「タミヤGP」ということを強く打ち出しています。「競争」という行為は、限界を追求するが故に
さまざまな事象を浮き彫りにし、解明の手がかりを与えてくれるからです。しかし、だからといってRCTが
「レースのことしか頭にない」などと理解されるとしたら、それは勘違いもいいところです。
確かに、RCレースは実車よりはるかに安全・低コストで楽しいですから、「みんなでやればいいじゃなーい?」とは
思いますけれども、様々な事情でレースに出たことない方のほうがRCユーザー全体としては圧倒的に多い、ということを
RCTは常に意識しています。そういう方は、ご自分の立ち位置に合わせて、情報を取捨選択していただければいいのです。
サイト利用者がどんな立場の方であれ、RCTが果たすべき役割は、
「ウソのない現実的な情報を取り揃える」ことに尽きる、
と考えています。「レース」という場はあくまで「実験室」であり、問題提起と正解への手がかりを得るための
手段に過ぎない、というのがRCTの考え方なのです。要は、より手軽にRCに取り組める人たちのために喜んで人柱になりましょう、と。それなりに自分も楽しみながら、というのはモチロンなんですが・・・。
ただし、代表・伊藤は、ワークスに呼ばれるほど上手いドライバーではありません。
練習時間も、今は1年に10回程度、しかも1回につき2時間あるかないかくらいしか取れません。
ですが、一応、タミグラポイントランキングでは毎年100位以内を
キープするくらいの結果は出しています。F1からMシャシー、
タムテックからバギーまで、ほとんどあらゆるジャンルのタミグラでAメインを経験しています。
その経験を、サイトコンテンツとして整理して公開すれば、後に続く皆さんにもそれなりに役に立つんじゃないか?
・・・と思ったわけです。
「モノで競争するのはヤメて、ウデと知恵で競争しようよ!」という考えに立ち、
長年の経験で磨き込まれたノウハウを包み隠さず正直ベースでタイムリーに披露しちゃおうと。
その結果、自分がレースで上位に入れなくなっても構わないと。速い人が増えれば当然なんですから!
でも、オジさんはそんなに簡単にヤラれないよ〜〜〜だ!(大笑)やれるもんなら、やってみろ〜!!
いつの日か、「予選でふぇら〜り伊藤に勝つ(ただしフェアにね)」が「Aメインに入る」と同じくらいのベンチマーク(評価基準)
というか「勲章」になるなら、そりゃ本望も本望、というものです。
そのためには、自分ももっともっと、「上手いドライバー」にならないとネ!負けないぞぉ〜(笑)
こんな取り組み方、「結果」を出すことが要求されるワークスの方々には逆立ちしてもマネできません。
その点、「ワークスじゃない人によるレース志向サイト」にも、一定の存在意義があるわけです。
少なくとも、中途半端な情報に振り回されていたり、
自分の中だけで悩んでいる数多くのRC仲間が、インターネットという手段を利用して救われたり、刺激を受けてレベルアップして、
レース参加者が増え、レースのレベルが上がってますます接戦になるのを「つまらない」と思う人がいるでしょうか?
本当にクルマやレースが好きな人なら、決してそうは思わないはずです。本当にウデに自信がある人ならば、
「ドーンと来いやー!待っとるでぇ!!」と考えるでしょう。
「タミグラ」という場で、大勢の方々とフェアなガチンコバトルができることを、これからも大いに楽しみにしています。
もちろんミニッツカップでもオープンレースでも何でもいいんですけど。ルールがフェアであり、参加コストが妥当であり、
日程に折り合いがつけば。
もうひとつ。
日本では、トイRCのみならずホビーRCさえも一般にはまだまだ「子供のオモチャ」という認識です。
これはタミヤが電動RCカーを発売して以来、この30年間、どうしても変えられなかった部分です。
長年親しんでいるユーザーの1人としては、大変残念なわけです。
「大の大人がRCやってる? オタクやな〜」という「世間の目」を何とか変えられないだろうか。
もっと明るく、堂々とRCを楽しめる環境を作りたい。
それには、桁の1つか2つ違うところでRCを普及させなければいけません。
また、RCホビーの魅力のみならず、楽しむために必要なノウハウまで伝える媒体が必要です。
さらに、RCホビーの教育的観点からの評価を、もっと社会に認知してもらうことも重要です。
これが、RCTの次のチャレンジです。
言ってる事とやってることが噛み合ってないと思われる方もいらっしゃると思います。
その通りです。やるべきことはたくさんあります。
そのためには、まず、応援してくださる方が増えないと話になりません。
アイデアだけはたくさんありますので長期プロジェクトはいくつか暖めています。
中には莫大な資金を必要とするものもあり、実現できるかどうかは現段階では分かりません。
ただ、ひとつ言えることは、
これらをやり切れるのは、多分、自分達しかいないだろう、ということだけです。今はこれだけ。
自分たちの構想を超えるプロジェクトが登場したら、さっさと引っ込んで楽をしたいのですが(笑)。
というわけで、RCTは謙虚な姿勢を忘れずに、地道に、着実に進んでまいります。
1年後、3年後、10年後のRCTの姿にご期待ください!
代表者紹介
ふぇら〜り伊藤(伊藤成治〜いとう せいじ)
もともとは小学生の時からのタミヤRC使いながら、金満オヤジ連中相手のレースに限界を感じ
高校1年でレース活動を休止。JMRCA参加&どこかのワークス入りを目指して東京の大学に進学するも、
全然RCとは関係ない音楽関係(オーケストラ)の活動にハマってしまう。学生時代は結局RC活動全面休止。
せっかく下宿にまで持ってきていたRC一式も実家に送り返して社会人に。
ところが就職3年目の92年夏、日経新聞夕刊コラムで渋谷トップサーキットのオープンを知るや、その2時間後には
あり得ない定時退社攻撃(笑)で現地に馳せ参じ、即決で会員(No.113)に。これが現在に至る社会人としてのRC活動再開のきっかけでした。
「レースカーのボディーカラーなら、絶対なくならないフェラーリでしょ、やっぱ。
RCレースって赤で単色塗りのボディってほとんど見かけないしー、塗るの簡単だしー」という実に単純明快な理由で、
鮮やかな赤いボディと黄色いホイール、AgipやShellのステッカーを
パーソナルカラーとして、少年時代のウップンを晴らすべく、とりあえずエントリーコストの低い
タミヤGP中心にRCレースにドップリとハマっていったのでした。もともと「頭カラッポでひたすら走るのが好き!
(理由は今もって不明、たぶん動物的欲求<笑>)」という
タイプでしたから、当初は2時間で10パック(ほとんど休み時間なし!)とか、ムチャクチャなコトをやっていたものです(笑)。
今でこそ、人並みに(?)1時間で1〜2パックしか走らないペースになりましたけど・・・。
最近発掘したリザルトを見て気がついたことに、
タミヤ全日本代表権のかかった1994年8月の静岡タミヤGP(フレッシュマンフォーミュラ)では、
後にタミヤに入社しTRFに参画した青木孝憲選手と1-2フィニッシュしていたことが判明(笑)。翌95年の静岡GPでも
F-1・Bクラスで2位でした(その時の勝者は、デーブさんじゃないほうの現・ヨコモ「○藤さん」
だったのはココだけの話)。
当時は「そんなもんかな」という感じでしたが、今から考えると、
結構もったいない形で何度も代表権逃してるな〜、と(苦笑)
98年3月まで続いたTVレース「タミヤRCカーGP」では5回出場、優勝2回、抽選落ち多数。
F1のみならず、四駆ツーリングやFF、Cカーなどタミヤの主要シャシーはひととおり手がけましたが、
最盛期はやはり95年〜96年にかけてのタミヤGP・ミニスポーツEXPクラスでの4回連続優勝でしょうか。
F1ではなかなか勝てなかっただけに、
「鶏口牛後」を強く実感しました。
その後仕事の関係でアメリカはニューヨークに移住してTCS(タミヤ全米選手権)に参加、
97年7月にメリーランド州で開催された東海岸予選をF1クラスでトップ通過。
また4セル1/12+ストックモーター、という世界に遭遇し、1シーズンながら、
東海岸各地のローカルレースでは何度か勝ち星も上げて「ジャパニーズ恐るべし」
というイメージを植え付け帰国。
帰国直後は子供も生まれ、仕事も変わったので、RC活動はほぼ休止状態でしたが、
これまでに培った知識とノウハウを全国のRCファンと共有し、生かしてもらえればとの思いから、RCTを創設。
以後、サイトの充実に努めてきましたが、2001年にはシブヤ・トップサーキットが閉鎖され、
レース活動の主たる場が消滅するというRCT始まって以来の大危機に直面。仲間の離散、情報量の激減、
といった問題を乗り越え、現在まで運営を継続しています。
タミヤGPについては、目下のところは関東のイベント中心に参加しています。
2002年には、ラリークラス静岡代表として
ツインメッセ静岡でのタミヤ世界戦にも参加。
コントロールプラクティス2位と滑り出しは上々ながら、まぁイロイロあって決勝の結果はメタメタ。いい経験になりました。
2004年からタミヤGPにポイント制が全面導入され、05年からは自分のTRFチャレンジャー認定も消滅したため、再び活動の幅を広げつつ、
ボチボチとレースを楽しんでいます。当面の目標は「毎年コンスタントにタミヤGPポイントランキング100位以内に入ること」です。07年は終盤の追い込みが奏効し、かろうじて90pt/98位を確保。これで05年以来3期連続で目標達成!08年は自分は60ptからのスタートです。「08年のメインマシンはドゥルガと416」と決め込み、既に走行準備を進めているので、08年はこれらのマシンが出られるカテゴリーがエントリーの中心となりそうです。
ここ数年は、RCTにセッティングアドバイスを求めに来る読者の方々に、
いかにタイムリーで的確な情報を提供できるか、ということに注意を払って出走カテゴリーや走行させる車両を選んでいます。
プロじゃないわけですけど、「自分の結果」がストレートにコメント内容の説得力に響いたり、
サイト来訪者の購買行動に影響したりする、という意味では、レースに参加するたびに身の引き締まる思いがあります。
ちなみに、最近のお気に入りはF103GTとMシャシーです。やっぱり、「RCを楽しめる仲間」を増やすには、
こういうカテゴリーが元気にならないといけない、って思うんですよね、タミヤGPに限らず。
手前ミソになりますが、07年8月に実施したBBSユーザー登録者へのアンケートで、
F103GTとMシャーシの保有者数が予想外に多かったのには、正直、ウレしかったです。これからも、
「ただ走らせているだけで楽しかった」RCを始めた頃の気持ちを決して忘れずに、RCホビーの楽しさを追求していきたいです。
ちなみにTRFサポーター会員番号「00001」です。
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