(posted on Nov 17, 2004)
タミヤRC製品・即買いカタログ
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タイレルP34シックスホイーラー<復刻版>


タミヤRCカーの第3弾にして初のF1モデルとして
1977年の発売とともに一世を風靡した「タイレル六輪」が2000年に復刻。
先行して催事専用に復刻されたオリジナル金型のボディパーツセットが
爆発的に売れ、サードパーティーからリヤウイングステーが発売されたり、
00年秋の全日本ホビーショーで復刻キットが先行販売され長蛇の列になったり、といった
空前の「裏ブーム」を巻き起こしました。 その魅力に迫ります。


ギヤ比表(F103シャシー)

とにかく売れました「タイレル六輪」。1977年暮れの話です。
当時、筆者はまだ小学生でしたが、縁あって町のオモチャ屋に毎日のように入り浸っていました。見ていると、中学・高校のお兄ちゃんや大人が、ポンポンとタイレルを買って行くのです。常に入荷待ち。現在の貨幣価値にして、プロポとバッテリー込みで8〜10万円はしようかという高価な買い物を、子供たちがお小遣い貯めて、あるいは親戚回ってかき集めたお年玉握りしめて、買いに来るんです! そんなこんなで3回もマイナーチェンジを重ね、大ヒットに。タミヤは公式な累計販売台数を発表していませんが、「ポルシェ934」が10万台売れた記念に「ブラックポルシェ」を販売して、なお売れたわけですから、「タイレル」は生産終了までに全世界ベースで恐らく20万台以上は売れたんじゃないかと推測します。 ちなみに、このたび04年12月の再販が決まった「ホーネット」は累計100万台超を生産、と発表されていましたね。
1977〜8年の当時は、地方で電動RCカー模型と言えば、圧倒的に「タミヤ」でした。エンジンカーで先行していた京商を除くと、ニチモ(日本模型)、エーダイグリップ、アオシマといったプラモメーカーが主流で、まだAYK(青柳金属工業)や無限精機はなかったし、ヨコモ(横堀模型)はまだ全国ブランドではありませんでした。京商やヨコモは、子供向けのミニムック本「ラジコン大作戦」とかで「あ〜こんなキットもあるんだ〜」というだけ。

タミヤ以外のメーカーはパーツ入手が困難でした。通信販売も不便でしたし。結局、「壊してもすぐ直せる」というと選択肢は事実上タミヤしかなかったのです。性能で選ぶ、とかいった次元ではありませんでした。シャシー性能競争が始まるのは79年頃からで、タイレル発売当時はまだモーターを380Sから540Sにスープアップする程度でしたので、大きな問題ではありませんでした。何よりも「ボディ」が重要でした。「憧れのクルマ」を自由に操るのがRCカーの醍醐味、という本質はいつの時代も変わりません。
タイレル発売当時、タミヤは車種がまだ3つしかありませんでしたから、ボディスタイルが抜群にアカ抜けていた「タイレル」に人気が集中したのは当然の結果でした。初のウイングカー「ロータス78」の出現という巡り合せの悪さもあって、実車の戦績はさっぱりでしたが、当時はF1というのはほとんどのモータースポーツファンにとって「テレビで見るもの」ではなくて「雑誌で読むもの」。ネットなんて便利なものもありませんでしたから、レース結果を知ってる人はあまりいなかったのです。いわんや、田舎の子供が知る由もありません。ひたすら「カッコ良けりゃいい」だけだったのです。でもソレって重要ですよね。
初版キット発売から23年、生産終了から数えても20年ぶりの再販(雑誌に掲載されたタミヤの広告では間違えて「10年ぶり」となっていたのはここだけの話)となった2000年秋の全日本ホビーショーでは、再び「あのブーム」が帰ってきたかのような賑わいでした。一般公開初日の朝はそれはもう「殺到」という形容がピッタリの光景でした。ディズニーランド並みにクネクネと行列が折り返して、ピークは50m以上の列になってたのではないでしょうか。同時に先行販売された初代TBエボと合わせて、久しぶりにタイレルのパッケージを手にした時のあの「安堵感」(笑)は忘れません。
何しろ復刻版に先行して2000年春にボディ・タイヤ・ホイールの催事限定再販が始まる前までは、タイレルのオリジナルキットはオークションで35〜40万円で取引される「超レア品」だったのです。ボディ・タイヤの催事での再版が始まっても20万円は下りませんでした。定価9800円のキットにこんな値段がつけば、とても一般のコレクターには手が出ません。タミヤの内部でもこうした異常な状況を苦々しく感じていたはずです。だったら、金型はあるんだから復刻したらどうよ? というのは自然な成りゆきでした。 ただ、版権の問題もありますし、「復刻して見込みどおり売れるか?」というのはやはりリスクが伴うので、なかなか踏み切れなかったのでしょう。
タイレル6輪がラッキーだったのは、スポンサーロゴが非常に限られていて、しかもシティコープ、エルフ石油(現・エルフトタール)といずれもタバコとは関係なく、しかもこういう版権交渉がやりやすそうな相手だったこともあるのではないかと思います。F1チーム自体もなくなってしまいましたしね。版権は残っていますが現役チームよりは交渉しやすそうだし。

まぁそんなことはさておき、モデラーとしては復刻は嬉しい限りです。RCカーは「走ってナンボ」ですからね。心おきなくボディを壊しても平気じゃないと、オチオチ走れないですよね。 案の定、撮影後のサーキット走行で早速ノーズのマーキングをちょっぴり痛めてしまいました・・・。
RCTの写真はクローズアップが多いので、塗装がおざなりだとモロバレです。「お手本」としてドライバーのヘルメットもちゃんと塗り分けて黒目まで入れないと、と随分がんばりました(笑)。さすがにバイザーの追加までは手をつけませんでしたけど、一応サマになってるみたいなので、まぁいいかな?

ポリカボディの製作にすっかり慣れてしまった昨今、「表塗り」のプラボディは塗装が面倒でついついおっくうになりがちです。イカンイカン! 一番大変なのは塗りムラの排除、光沢の確保とドライバーの塗装。 プラの塗装は夏は泡が出るし冬はタレるし、夜とか湿気が多いとカブるしで、室内で塗装ができない家族持ちにとっては、最適日を選ぶのが大変です。エアブラシもってないので全部スプレー缶だし。 なお、自分の場合、あんまりホコリは問題になってません。屋外でスプレー吹いてるせいかな。
でも最近は、スプレー塗料もずいぶん進歩して、便利になりましたよね。 特に今回、重宝したのが、「Mr.カラー」の水性トップコート。デカールの上から塗れるので、経年変化によるデカールのハガレがないツルツルボディが作れます。ヘルメットに吹いたらあ〜らスゴい!ホレボレするくらい美しい光沢が得られます。やっぱデカールの段差が消えるとカッコ良さ倍増しますよね。水性トップコート、お奨めです!こんなもん20年前にはありませんでした。 粘っこく乾燥が速い特性なので、吹き方には慣れが必要ですが、ウレタン塗装っぽい厚めの塗膜が得られ、RCボディのデカールの段差を埋めるにはグーです。
カウルのアクセントになってるロールバーなんですが、これ、カウル裏面に「点付け」で接着するだけの構造なので、転倒すると一発でもげてしまうヤワさです。したがって、走行用ボディを製作する場合、最初から接着しないほうがいいでしょう。また、ロールバーがなくなるとドライバーの頭を擦ることになるので、同様にドライバーもボディに接着しないほうがいいかも知れません。ちなみに、筆者はロールバー破損は覚悟のうえで「首」だけ接着せずに対応しています。ウイングも翼端板が接着オンリーなので、破損、というか脱落しやすいのですが、いざ交換するとなるとデカールとウイングパーツ合わせて1000円以上かかってしまいますから、大事に使いましょう!

なお、接着には、経年変化による接合面の劣化が少ないメリットがある「溶剤系の接着剤」を使用しています。大昔は東邦化研「エンジンシンナー」を、最近まではモデラーズの接着剤を愛用していましたが、モデラーズの接着剤を使い切ったので、今回は最近出たタミヤ製を使用。タミヤのものは、量が適当だし刺激臭もないし「筆」もついてて、しかもどこでも入手できるでしょうから超お奨めです。モデラーズのは「不燃性」というのが良かったんですが、揮発が激しくて塗布の際に霜(水)がつくので、RCボディへの大量使用にはやや扱いが面倒です。RCユーザーにはおなじみの「エンジンシンナー」も実はスチロール樹脂の接着にお奨めです。接着用に小ビンに取り分けて筆で塗るといいですよ!

というわけで今回はボディ画像だけで1ページ丸々使っちゃいました。今回は「ボディ」が主役、ということで、存分にそのカッコ良さを堪能していただきたかったので。次ページからはいよいよシャシー編です!





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