RCTシャシー研究室・TB-01分会
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Re: 詳しく教えてください! [2002/10/10 (Thu) 04:18:29]
[投稿者: ふぇら〜り伊藤]

会社としてのフェラーリについては、私なんかより実車マニアの方のほうがよっぽど
詳しいと思うんですが、私の知っている限りでも、
1979年にJ.シェクターが312T4でコンストラクターズを取って以後の10年間というのは
フェラーリにとって、まさに「失われた10年」だったように思われます。

何しろ1982年(だったよね?)の第2次オイルショックの
あおりで、いわゆる「スーパーカー」ブームが吹っ飛び、512BBを最後にぷっつりと
魅力的なスポーツカーの開発が止まってしまったのが痛かったですよね。
もちろん、その間にも、G.ベルガーがモンツアGPや鈴鹿GPで優勝したり、といった
瞬間的な「輝き」はありましたが、もともと潤沢な予算を誇るチームとは言いながらも
ホンダやポルシェ、フォードといった大メーカーを相手に
スポーツカーの商売には使えないターボエンジンの開発を余儀なくされ、特に80年代前半は
財政的に苦境を極めた時期で、結果としてフィアットからの増資を受け入れ、
資本関係を強化することで急場をしのいだ経緯があります。
 (予算管理がルーズで無駄な出費が多かった、という指摘もありますが)

そもそもこの時代、テスタロッサのような大鑑巨砲的なクルマを作り始めたところで
企業としての活力がなくなっていたように個人的には感じています。
大きく、重く、不経済。そんな「スポーツカー」が真のスポーツ走行を愛するエンスーに
支持されなかったのは当然でしょう。いくら排気量をアップし、装備を豪華にしてもムダ。
既に時代はNSXのようなウェルバランスのミドルウェイトスポーツカーに
シフトしていたのです。

F1活動においても、イギリスのチームがモノコック構造を使い始めてから5年も6年も遅れて
ようやく1981年の126Cからハニカムモノコックになったり
(312T系はカートと同じパイプフレーム構造でした)
CADを入れたのだってかなり遅いほうで、フェラーリというチームは昔は相当
労働集約的なチームだったのです。メンバーもイタリア純血主義でしたしね。
とにかく、打つ手全てが後手後手だった、というのが80年代のフェラーリの印象です。

その後、エンツォの死もあり、フィアットの関与がますます強まっていったわけですが、
だからこそ、70年代後半のフェラーリ黄金時代に監督を務めたルカ・モンテゼモーロ氏が
95年頃にフィアットから送り込まれ、フェラーリ再生の立役者となったという「ご利益」に
つながったわけです。こういうのを「因果応報」って言うんでしょうかね・・・。

この間、80年代後半から、F40、ご指摘の348TB、そしてその正統な後継者であるF355といった新世代スーパースポーツが生まれ、これらのモデル、特に
再生のきっかけを掴んだ348TBがバカ売れしたおかげで、財政的にも危機を脱し、
設備の近代化や魅力的なモデルの開発がペースアップしていきます。
残念ながら、F1のほうは、M.シューマッハが加入するまでもがき苦しみましたが、
この間にも、F50やF355後継である360モデナといった人気車種がコンスタントに、しかも
相当速いペースで次々に出てきたのと、マルボロなどスポンサーを活用しはじめた
おかげで、財政的には潤沢でした(80年代半ばまで、フェラーリは事業パートナー以外の
純粋スポンサーを一切受け付けていませんでした)。
だからこそ、シューマッハを獲得できた、という見方もあるのですが・・・。

エンツォは、F50の後継に当たるモデルですから、台数的にそんなに掃けるわけでは
ないでしょう。とはいえ、F50よりも実用性重視に振られているそうなので、
このテのクルマとしては、結構、売れるかもしれませんね。
スタイリングに毒があって目立つことこのうえないし。

・・・とまあ、私はそのような認識なんですが、
何か事実誤認とかあったら、ご教示ください。